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横浜地方裁判所 平成8年(ワ)2603号 判決 1997年11月14日

原告

乙山月子

右訴訟代理人弁護士

伊藤幹郎

被告

学校法人石川学園

右代表者理事

石川實

右訴訟代理人弁護士

田子璋

主文

一  被告は、原告に対し、金四〇三万一九九九円及びこれに対する平成八年七月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文一項同旨

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、教育基本法及び学校教育法に基づき学校教育を行うことを目的とし、この目的を達成するために戸部洋裁学院(以下「洋裁学院」という。)と杉之子幼稚園(以下「幼稚園」という。)を設置している学校法人である。洋裁学院は昭和二三年に創設され、現在は専修学校となっている。

2  原告は、被告経営の洋裁学院に教員として勤務していたが(平成三年一一月二六日から平成八年三月二二日までは被告の理事も務めた。)、平成八年三月三一日をもって洋裁学院を退職した。

3  右退職に際し、原告に対して退職金五二八万〇一八八円が支払われた。右退職金は、被告の加入する財団法人神奈川県専修学校各種学校退職基金財団(以下「退職基金財団」という。)において、原告を退職者とする被告の加入期間が昭和四四年四月から平成八年三月までの二七年間であることから、右期間を基礎に算出されたものであり、退職基金財団の定める運営規則に基づき、原告の平均標準給与一五万七五〇〇円に勤続二七年の給付乗率三三・五二五を乗じて算出されたものである。

4  原告は、平成八年七月八日到達の内容証明郵便で、被告に対し、退職金四〇三万一九九九円が未払であるとしてその支払を求めた。

二  争点及びこれに対する当事者の主張

1  原告が被告に就職した時期はいつか。

(原告)

原告は、昭和二七年一〇月一日、被告経営の洋裁学院に教員として採用され、専任教員として夜間二クラスを受け持った。当時夜間部の授業は午後六時から八時までであり、午後五時頃出勤して準備をし、午後八時過ぎに授業が終わり、これを月曜日から土曜日まで(一クラスは月水金、もう一クラスは火木土)行っていた。

(被告)

原告が被告の経営する洋裁学院に昭和二七年一〇月一日に教員として採用されたことは否認する。原告は、洋裁学院に生徒として入学し、同年九月三〇日、洋裁の教員資格を取得したが、当時、昼間は他に勤務し、実習見習いを兼ねてパートとしてときどき夜間部に来ていたものにすぎず、原・被告間に常勤としての雇用契約はなかった。原告が専任教員となったのは昭和四四年四月からである。

2  労使間に退職金の支払について在職期間を通算して支払うとの黙示の合意又は慣行があったか。

(原告)

原告が被告に就職したのは前述したとおり昭和二七年一〇月一日からであり、そもそも退職金がそれまでの労働の対償である賃金の後払的な性格を有するものである以上、退職金が勤務年月に応じて支払われるのは当然のことであって、昭和二七年一〇月から昭和四四年三月までの期間について、退職金の規定から外すことは許されない。現に、昭和四四年三月以前に被告に就職し、その後退職した教職員に対しては、昭和四四年三月以前の就労期間も退職金支払の対象として支払われている。

被告は、昭和四九年四月に退職基金財団ができる以前は、それ相応の退職金を支払っていたところ、退職基金財団ができてからは、その運営規則に従って支払い、その結果、昭和四九年四月以前から在職していた教職員には、昭和四四年四月まで遡って適用されることになったが、昭和四四年三月以前から勤務していた教職員には、退職基金財団から支払われる退職金の他に、被告からその間の在職期間の退職金が支払われていた。なお、その在職期間の係数(給付乗率)は退職基金財団のものを準用して行っていた。

洋裁学院の就業規則が労働基準監督署に届けられたのは平成六年三月二五日であるから、被告の労使間において退職金が支払われてきた根拠は、昭和四四年四月以降に洋裁学院に就職した教職員には退職基金財団の運営規則によって支払われ、昭和四四年三月以前から在職している教職員には、就職時から通算して支払われる(給付乗率は運営規則を準用)という黙示の合意が存在していたことによるものである。

仮に、黙示の合意が存在しないとしても、労使間に在職期間を通じて退職金が支払われてきた労使慣行があり、右慣行は原告と被告との労働契約の一部となっていたものであるから、被告は原告に対して在職期間を通算して退職金を支払う義務がある。

(被告)

被雇用者の雇用者に対する退職金支払請求権は、雇用者と被雇用者との間でその支払に関する合意が成立しているか、または、雇用者に労働協約としての退職金支給規定が存在していなければ発生しないものであるが、原告と被告との間で昭和四四年三月以前の期間を通算して退職金を支払うとの合意は成立していないし、退職金支給規定もなかった。

被告は、昭和四四年四月に同月以降被雇用者のため退職基金財団に加入し、財団から支払われる退職金をもって被雇用者に対し退職金として支給することにしたものであるが、その際、右退職金以外に、昭和四四年三月以前に関して退職金を支払う合意をしたこともなければ、そのような規定を設けたこともない。

特殊な関係者への支払又は特殊事情による支払をもって支給慣行があったというのは当たらない。

3  原告は就業規則制定による不利益変更を承認したか。

(被告)

仮に、被告において、洋裁学院勤務者に対し、昭和四四年三月以前の勤務年数を通算して退職金を支払う慣行があったとしても、洋裁学院に勤務する労働者に適用される就業規則が制定され、原告は労働者の一員として右就業規則を承認した。右就業規則四〇条によれば、「退職金は、神奈川県専修学校各種学校退職基金財団の規定内で支払う。但し、一年未満の者の場合には支給しない。」と定められている。右規則は、前記慣行があったとすれば、原告に不利に変更されたことになるが、原告も規則を承認しているので、原告の意思に反した不利益変更に当たらない。したがって、被告は、原告に対して就業規則の範囲で退職金を支払えば、義務を履行したというべきである。

なお、従前、昭和四四年三月以前の勤務年数を通算して退職金の支給を受けた者は、右就業規則を承認していなかった者である。

(原告)

洋裁学院の就業規則は、平成六年一月の職員会議において、被告理事長が幼稚園の就業規則のコピーしたものに若干手書きでつけ加えて提案したものである。話題になったのは、一五条の定年が五八歳から五三歳に手書きで訂正してあった点についてのみで、これについて理事長は、この就業規則は仮のもの、建前であって、従来どおりでやっていくと言明している。本件で問題となっている四〇条については、理事長から何の説明もなく、全く話題にならなかった。したがって、この問題について、教職員個人が同意したとか、不同意であったとかいうことは全くない。

また、就業規則は、従業員の労働条件を統一的に定めるものであって、原則として、個人従業員の同意、不同意によって、全部又は一部が無効になったり有効になったりすることはない。

仮に四〇条が被告主張どおりに解釈運用されるということであれば、労働条件の一方的改悪に当たり、同意していない原告には適用はないということになる。

4  原告に支払われるべき退職金の金額

(原告)

原告の通算勤続年数は四三年六か月であり、これは退職基金財団の定める給付乗率によると五九・一二五となる。したがって、退職金は、平均標準給与一五万七五〇〇円に右給付乗率五九・一二五を乗じた九三一万二一八七円となり、受領済の五二八万〇一八八円を差し引いた四〇三万一九九九円が未払となっている。

第三争点に対する判断

一  原告が被告に就職した時期はいつか(争点1)

証拠によれば、原告は、昭和二七年九月三〇日に洋裁学院(当時の名称「戸部洋裁専門女学院」)卒業と同時に洋裁の教員資格を取得し(<証拠略>)、同年一〇月一日、被告に洋裁学院の教員として採用され、専任教員として夜間二クラス(月・水・金曜日のクラスと火・木・土曜日のクラス)を受け持ったこと、当時、夜間部の授業時間は午後六時から八時まで、一クラスの生徒数は約五〇名で、助手が一名補助としてつけられていたこと(<証拠・人証略>)、退職基金財団の退職手当資金裁定書兼支払通知書にも、原告の就職年月日は昭和二七年一〇月一日とされていること(<証拠略>)、原告は、昭和四五年七月には社団法人神奈川県各種学校協会から、平成元年一一月には神奈川県知事からそれぞれ永年勤続表彰を受けていること(<証拠略>)が認められ、これによると、原告が被告に就職した時期は昭和二七年一〇月一日であると認められる。

二  労使間に退職金の支払について在職期間を通算して支払うとの黙示の合意又は慣行があったか(争点2)

証拠によれば、次の事実が認められる。

1  平成六年二月一四日に洋裁学院の就業規則が実施され(労働基準監督署長への届出は同年三月二五日)、その四〇条は退職金について定めているが、それまで幼稚園にはほぼ同内容の就業規則があったのに対し、洋裁学院には退職金の支給について定めた規定はなかった(<証拠・人証略>)。

2  被告は、昭和四九年四月に退職基金財団が設立される以前、退職者に対し相応の退職金を支払っていた(<人証略>)。

3  退職基金財団の運営規則によれば、退職手当資金は、教職員等が退職した場合(死亡による退職を含む。)に、専修学校各種学校の設置者が退職者又は遺族(退職した者が退職金の支給を受ける前に死亡した場合を含む。)に支給する退職金に充てるため設置者に給付するもので、設置者が支給する退職金の額は右資金の額を下廻ってはならないとされ(一四条)、退職基金財団が給付する資金の額は、退職した者の平均標準給与の月額に、勤続期間及び退職の理由に応じた率(給付乗率)を乗じて算定され(一五条)、昭和四九年四月一日に、退職基金財団の事業の対象となった設置者の専修学校各種学校に同日前から在職している教職員等が、同日後五年以上継続して当該設置者の専修学校各種学校に教職員等として在職したときは、その在職期間を勤務期間に通算するが、当該在職期間の始期が昭和四四年四月一日前であるときは、これを昭和四四年四月一日とする(附則2)ものとされている(<証拠略>)。

4  被告の教職員で昭和四四年三月以前に就職している石渡一江(昭和二五年四月洋裁学院就職、平成元年九月退職。昭和二九年四月幼稚園就職、昭和六三年三月退職)、桑田恵美子(昭和四一年一〇月洋裁学院就職、昭和六三年六月退職)、中村まさ子(昭和二九年四月幼稚園就職、平成三年三月退職)、石川弘子(平成六年一月三一日洋裁学院退職)、有江歌子(平成五年幼稚園退職)及び吉田てる子(昭和二三年三月洋裁学院就職、平成七年九月退職)の各退職に際し、被告は、退職基金財団から支払われた退職手当資金に、これと実際に在職した期間による給付乗率に置き換えて算定した額との差額を被告「持出分」として加算し、これを退職金として支払っている(<証拠・人証略>)。

なお、被告は、洋裁学院の教職員で退職基金財団が設立された昭和四九年四月以前に退職した井上喜久江、高木保子、神谷美千代、高田モリエ及び波多野喜美子に対しても、「それ相応の退職金」を支払ってきた(原告本人)。また、国分歇子(昭和二八年四月洋裁学院就職、昭和四〇年九月退職。その後昭和五一年四月再就職、平成八年三月退職)及び杉本雅江(昭和二七年四月洋裁学院就職、昭和三四年退職。昭和四九年再就職、平成八年三月退職)は最初の退職の際には被告からも退職金の支払を受け、再就職後は退職基金財団から退職金の支払を受けている(<証拠略>)。

5  幼稚園の就業規則では、「退職金は、神奈川県私立学校退職基金財団の規定内で支払う。但し、一年未満の者の場合には支給しない。」(四〇条)と定められているが、被告は、昭和四四年三月以前に就職した幼稚園の教職員に対し、右財団から支払われた退職手当資金に被告「持出分」を加え、全在職期間を通じた右財団の給付乗率をもって算定した退職金を支払っている(<人証略>)。

洋裁学院の就業規則は、右幼稚園の就業規則を下敷きに一部訂正を加えて作成し、前記のとおり平成六年二月一四日から実施したものであり、四〇条については、「神奈川県私立学校退職基金財団」とあるのを「神奈川県専修学校各種学校退職基金財団」と訂正したものにすぎない(<証拠略>)。

右認定の事実によれば、被告は、平成六年二月一四日から実施された洋裁学院の就業規則には退職基金財団の規定内で退職金を支払う旨の規定があるが、実際は、右就業規則実施の前後を通じ、退職基金財団から支払われた退職手当資金に、これと昭和四四年三月以前に現実に在職した全期間による給付乗率に置き換えて算定した額との差額を被告「持出分」として加算し、これを退職金として支払っているものであって、右基準による退職金の支給は被告において確立した慣行になっていたと認められるから、右慣行は被告と原告との雇用契約の内容となっていたと認めるのが相当である。

被告は、特殊な関係者への支払又は特殊事情による支払をもって支給慣行があったというのは当たらない旨主張するが、右認定の基準によって支払を受けた被告の教職員には被告理事長等と親族関係のない者も含まれており、親族関係等の有無によって差異があったとは考えられない。

三  原告は就業規則制定による不利益変更を承認したか(争点3)

証拠によれば、洋裁学院の就業規則は、平成六年一月の職員会議において、被告理事長が幼稚園の就業規則のコピーしたものに若干手書きでつけ加えて提案したものであり、話題になったのは、一五条に定める定年が五八歳から五三歳に手書きで訂正してあった点についてのみで、理事長は、これについても、この就業規則は仮のもの、建前であって、従来どおりでやっていく旨言明したこと、退職金を定めた四〇条については、理事長から何の説明もなく、全く話題にならなかったこと(<証拠・人証略>)が認められ、右事実に、前記認定の就業規則の実施と関係なく現実に在職した全期間による給付乗率をもって算定した額を退職金として支払うとの慣行が確立されていることに照らすと、洋裁学院の就業規則の制定によって教職員が不利益変更を承認したとはいえない。

四  原告に支払われるべき退職金の金額(争点4)

以上によれば、原告の通算勤続年数は昭和二七年一〇月から平成八年三月までの四三年六か月であり、これは退職基金財団の定める給付乗率によると五九・一二五となるから、原告が被告から支払を受けるべき退職金は、平均標準給与一五万七五〇〇円に右給付乗率五九・一二五を乗じた九三一万二一八七円となり、これから受領済の五二八万〇一八八円を差し引いた四〇三万一九九九円が未払となっていることになる。

第四結論

よって、未払退職金四〇三万一九九九円及びこれに対する期限後である平成八年七月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。

(裁判官 森髙重久)

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